獏の食べのこし

旅から帰りました。
異文化と異文化の間でぐわんぐわんと魂が揺さぶられる感覚。

いいこともわるいことも、楽しいことも悲しいこともいつもよりたくさん味わいました。

そして、加計呂麻に帰ってくると、発熱・消化器症状などに悩まされることが多く、今回もお約束通りダウンしていました。こんな軟弱なことではいかんなあ、とも思うのですが、「これはデトックスなのだ」と自分勝手に解釈して、これ幸いとぐうすか布団の虫になるのです。

そんなぼんやりとした頭で手元においた本が「獏の食べのこし」

’’獏が食べのこす夢の量はどんどん増えていっている・(中略)・
獏が食べ残した微毒を含有する夢を噛み続ける・・・’’
そんなあとがきで終わる中島らもの88年頃に書かれた1冊のエッセイ集。

思春期の頃にドキリとした中島らもおじさんの不思議な世界は、いま、自分が作者と同じくらいの年齢になって、またもズシンと響いてくるのです。

世の中は下世話で尊く、くだらなくて奥深い人々の営み。

すっかり忘れちゃったことと、忘れられない出来事。

そこには日常も非日常もなく、その時その地で懸命にもがき生きる人たち、獏の食べのこしを求め彷徨う人たち。

ぷかぷかりんごがここにあるのはやはり、人との出会いがあってこそ。

加計呂麻の山々は新緑が芽吹き、鳥たちのさえずりで目が覚めるという、生命の輝く季節がやってきました。
ぷかぷかりんごの青臭いつぶやきは、生き物たちの勢いに飲み込まれてしまいそうです。

自然の摂理はとてもシンプルながら奥深いもの。


獏の食べのこしにかまけてぼやぼやしていると、季節は私を置いて通り過ぎて行っちゃいますね。


さあ、布団をあげて大きく深呼吸をしたら、時々夢も見つつ、光の射す方へまた歩いてゆきますよ。